著書紹介

既刊のご紹介:

ⅰ)情報社会への道(1990年)オーム社

    定価3300円(本体3204円)
  • (売り切れで市場に在庫なし)
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ⅱ) 宇宙通信よもやま話(1997年)裳華房
    定価1500円+税
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ⅲ) 準・歩き遍路のすすめ(2005年)
     講談社α新書 定価:876円+税



ⅳ)五分間の決断
     ―特殊潜航艇「蛟竜612号艇」横井順一の手記ー
            美巧社( 2011年) 定価1,200円+税

  ・アマゾン に書籍紹介

  筆者の兄、横井順一は先の大戦中、志願して予科練に入り、航空機ではなくて”蛟竜”と呼ばれた特殊潜航艇に搭乗して昭和20年の8月中旬に出撃したが、途中で終戦を迎えた。この時、彼は18歳であった。
 この潜航艇は5人乗りで魚雷を2本積んでおり、全長26メートル、60トン、、最高速度は15ノット、航続距離は千マイル(約1,800キロメートル)で、”回天”などのように体当たりをするのではなくて僅かながら生きて帰れる高級な潜航艇であった。
 特攻隊の生き残りとして昭和21年末まで生きた兄が「戦争を知らない人たちのために」と遍路宿という雑誌に連載として書き残していた当時の記録を弟の筆者が編集したものである。               
                                                                                  
Ⅴ)西行と崇徳上皇・その後の静御前
   (初版;2012年、第2版;2013年)美巧社 定価900円+税
  ・朝日新聞の香川版(20012年10月3日)に書評が掲載された。
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 西行と崇徳上皇
 保元の乱に敗れて讃岐に配流となり、怨霊になったとまで言われる崇徳上皇の通説とは異なる人物像を書いた。
 中央で書かれた古典では、讃岐に配流された上皇が京都を恨んだように書かれているが、讃岐に残る伝承では、上皇は歌会を開いて住民と触れ合うなど温煦な人柄であった。 ここでは上皇と西行の歌を交えながら、上皇の人柄を浮かび上がらせ、権力側が上皇の人格を捻じ曲げて後世に伝えたとしている。

 その後の静御前
 讃岐に残る静御前親子の遺跡と伝承を筆者が自分の足で歩いて調べたものである。
すなわち、静御前は鎌倉での舞の後、母の磯野禅師とともに母の故郷、讃岐に帰ってお遍路となり、崇徳上皇の遺跡や西行の足跡、屋島の戦跡などを訪ねて歩く「。そして世の無常を感じ、長尾寺で髪を下して出家して、小さな尼寺で、念仏三枚の生活に入るが、若くして他界したという話。


 
Ⅵ)伝承 静御前
     (初版;2015年12月)文芸社 定価(本体600円+税)
 本書は、筆者の故郷、讃岐(香川県)に伝わる静御前親子の遺跡と伝承、また西行や崇徳上皇の遺跡と伝承を基に、既存の文献なども参考にしながら、静御前の全生涯を述べたものである。その様なことで、この本は先に出版した「西行と崇徳上皇・その後の静御前」と一部重複するところもある。

 「伝承・静御前」の構成

第一章 静御前の母、磯禅師
          磯の生い立ち,西行との出会, 芸の道一筋に,保元の乱と平治の乱,
            静御前出生の秘密
第二章 白拍子静御前
      神泉苑での舞
 第三章 源平合戦    
      慌しい京の都, 一の谷の戦い, 義経との出会い, 頼朝と義経
       六ヶ度の戦と藤戸の戦い, 屋島合戦, 長門、壇の浦での戦い
第四章  受難の日々
      義経の追放, 堀川夜討, 吉野の別れ, 鎌倉での静の舞
 第五章 母の故郷
             讃岐への道, お遍路となった静御前, 西行も歩いた道,
            讃岐における崇徳上皇  諸行無常
第六章 光を求めて
        屋島の戦跡, いろはにほへと, 琴路の来訪, 祈りの日々
第七章 後日談
           静御前親子の遺跡, 静御前の菩提寺, 佐藤継信の子孫, 追記(1),(2)
年表、あとがき、参考文献

静御前の母、磯禅師と藤原信西については兼好法師の徒然草にも記述が見られるが、磯にとっては心の支えであり恩人でもあった藤原信西が鳥羽上皇や後白河法皇の側近で、保元の乱の火付け役となり、崇徳上皇の讃岐配流を図るほか、清盛と組んで源為義をその子、義朝に殺害させた、そして平治の乱ではその信西が義朝に打たれ、その義朝は平清盛に討たれた。
 さらに、静御前の父が後白河法皇であったという讃岐での伝承、また、源平合戦では、平家一門を義朝の子である頼朝の命で弟の義経が討ち、義経の室が静御前、その義経は頼朝によって自刃に追い込まれたということは、因果というか、輪廻というか、実に不思議な廻り合わせと言わざるを得ない。
 筆者は磯禅師の故郷である讃岐の丹生、屋島合戦の戦跡、その後の静御前親子の遺跡とその伝承などを実弟、松井實と共に訪ね歩いた。そして、あの屋島合戦は静御前の母、磯禅師の生家、長町家とそれに連なる人たちの大きな働きがあったというこの地の伝承に注目した。これはいかなる史書にも物語にも見られない伝承ではあるが・・義経が反逆者として扱われるようになってから、その縁者たちは自然と影をひそめ、歴史の表舞台から消えて行ったものと推測される。

 本書は、静御前に関してこれまでに比較的によく知られている話のほか、讃岐に伝わる伝承を中心に述べており、彼女の出生の秘密を始め、あの屋島合戦や、鎌倉での舞の後、母の磯禅師とともに母の故郷である讃岐に帰り、お遍路となって崇徳上皇や西行の遺跡がある寺々と共に、屋島の戦跡も訪ね、ここ戦死した人たちの菩提を弔うなどしているうちに、世の無常をさとり、現在の四国八十七番札所、長尾寺で親子ともども出家して、その近くの井戸中代という所で小さな庵で念仏三枚の生活を送るが、若くしてこの世を去ったという話であるが、彼女がお遍路として訪れる西行や崇徳上皇の遺跡とその話についても、先に出版した「西行と崇徳上皇;その後の静御前」の考えを踏襲し、従来の通説とは異なる見方をしている。

 また、静御前の没後に、出家した源氏の御家人、佐々木盛綱がこの近くに来て静御前の菩提を弔うために願勝寺を作ったという話についても、その年代については筆者の新解釈を述べた。なお、この本の表紙絵はその寺にある静御前の舞姿の絵を借用した。静御前の末路については史実が明らかでないため、例えば、静が奥州にいる義経を慕って福島まで行って亡くなったという話も含め、各地に多くの遺跡と伝説があるが、これは、その後の琵琶法師や旅芸人たちが静御前の物語を夫々の地に関連つけて興行した名残ではなかろうか?
 
 ここに取り上げた静御前の遺跡と伝承は香川県の東かがわ市、さぬき市、木田郡三木町に広く分布していて、それらは相互に深い関連がある。筆者には、これが正史は言えないまでも最も真実味を帯びたものであるように思われる。